特集

特別企画 「震災と社会福祉士」
東日本大震災において、社会福祉士が手がけたことなどについて随時リポートしていきます。

第8回 親子の手記

~震災当日、障がい者とその家族は~
2011年9月30日
 ここに紹介する手記は、当団体「成年後見事務所アンカー」の理事である吉田千代さんに依頼し、執筆していただいたものです。
 吉田さんの長男、雄祐さんはS市の作業所に通っており、また当団体の会員として当事者の立場から、権利擁護についての講演者としても活動しています。
 今回は、吉田さん親子の手記を読んでいただき、震災時の障がい者支援のあり方について考えていただけたと思います。
(成年後見事務所アンカー西田ちゆき)


東日本大震災の体験記 (吉田雄佑)

3.11の地震での辛さ。

15時頃に震度5.6の地震が来て、作業中にびっくりして恐れられてしまいましたよね。
15時15分に職員の誘導で外にいました。A君は苛立ち、B君はぶつぶつ言ってアンパンマンの歌を歌ってしまいました。僕は思い通りに行かなくて苛立ち、17時過ぎに絵を書いていました。

小田急、京王などの電車が動かず、C君は16時過ぎに親父さんに迎えに来てもらったよ。19時過ぎまで残されて、大変な中でのサバイバルでした。それで本部の職員とレゴシティの世界を話そうとしたが話せなかったですよね。僕は職員も話を聞いてくれず、苛立ってしまった。僕は聞いてほしかった。

この日、東北地方は地震で壊滅に。びっくりした状況でした。

RV車で寒い中で、24時に職員の送迎で自宅にやっと到着しました。
その後に3日も休んでしまったのは、電車が運休で動かず休んでしまいました。
(吉田雄祐)

ドキドキ・ハラハラ長かった一日 (吉田千代)
 息子は、自分一人で公共交通機関を使って施設通所をしている知的障害者です。今までに交通機関を利用していることで困ったことはありませんでしたが、この日は、本当にドキドキ・ハラハラさせられました。

 私も出先であったため、地震にあった後に、とても息子を迎えに行ける状態ではありませんでした。そんな中でも、地震直後に施設に電話が繋がったことは幸いでした。息子の無事を確認し、「交通機関が止まれば迎えに行けないのでよろしくお願いします。」と言うので精一杯でした。その後は、全く電話は繋がらなくなってしまいました。

 次に施設と電話が繋がったのは、19時過ぎでした。電車の全面ストップが決まったので、残っている利用者を職員が手分けして車で送っていくとの連絡をもらいました。「責任を持って送っていきます」とも言っていただけました。非常に心強く安堵しました。

 震災後に息子と話し合ったのは、もし、今回のようなことが起こった時は、先ず、鉄道だったら駅員さんに障害手帳を見せて、「自分は障がい者です。助けてください。」と言うこと。
 また、道の途中だったら交番を探して(誰かに教えてもらって)辿りつくことを、ロールプレイで練習しました。

 息子は、しばらくは震災のトラウマがあり、通所するのを不安に思っていました。親としても、もしまた同様なことが、行き帰りの途中で起こってしまったら…と想像し、通所させるのを躊躇してしまいました。

 障がい者がこのような緊急事態に遭遇した時のことを思うと、親だけでは無力だということ、どうしようもできないことを改めて思い知らされました。
 その場に居合わした方々の助けや支えが、どれほど有難く大切なことなのかと実感しました。
 障がい者に対しての理解を啓発していくことの大切さを再認識しました。

(成年後見事務所アンカー 吉田千代)

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