(前編はこちらよりご覧ください)
避難された当初の様子
たきがしら会館に移られて間もない皆さんからは、「地震直後に白い防護服の人を見て大変な事態を察知した。孫を守らなくてはという一心で逃げてきた。」「途中ガソリンも購入できず大変だった。」「馬を飼っていたのに置いてくるしかなかった。」「家業は続けられなくなった。」など、3月11日を境に、それまでの生活を突然全て喪失するという、想像を絶する体験談をただただお聞きすることしかできませんでした。
困っていることはありませんか?と尋ねると、心配をかけまいとの想いからか「以前の避難所は毛布一枚で大変だったけどここは布団なのでよく眠れます。」との返答をいただくこともありました。また、炊事ができない環境で、食事はカップ麺やコンビニなどで買ってくるもので済ませているにもかかわらず「電子レンジでチンできるので美味しいですよ。」といった言葉を聞くこともありました。
たきがしら会館(横浜市磯子区)
時間の経過とともに相談は広範囲に
原発事故の収束の見通しが立たず避難生活が長くなってくると、運転免許証の更新などのちょっとした相談から、保育所・一時保育のこと、生活費や仕事、住まいのことと相談が広範囲になっていきました。
乳幼児の保育所での受け入れは困難な状況でした。仕事をしないと生活ができないが保育所への入所は困難、借りた被災者向けの緊急生活資金10万円は底をついたという相談には頭を抱えました。
失業者を対象とする住宅手当制度は、たきがしら会館の利用者は対象になりません。また、避難生活には車が欠かせませんが、生活保護制度はその車の処分指示があったため申請を断念せざるをえませんでした。
被災者向け公営住宅入居にも、募集時期の情報提供をして、応募していただきました。しかし、原発事故による被災者の場合、被災証明書が発行される地域が限定されていて、いわゆる自主避難者は入居資格がなく利用できませんでした。6か月間家賃無償という申し出があった民間アパートへ移ることを決めた方もいらっしゃいました。
最大の関心事とも言える「仕事」
相談させていただいた皆さんの最大の関心事は、やはり仕事だったようです。4週目にはハローワークから職員が来訪し個別相談が始まりましたが、これは非常に有効でした。たきがしら会館内の情報提供用ボードを見て仕事を探しに行った人も、結局個別相談を希望されていたのです。
皆さんがこれから先を具体的に考え始めつつあるようで、気持ちが前向きになっていることがわかりました。しかし、経済的な不安はまだ解決できておらず心配は残っています。
活動から見えてきたもの
状況の変化とともに必要とされる情報をお伝えできるよう努めてきましたが、民間のボランティアの力を感じる一方で、保育所やセーフティネットなど、制度の限界にも直面しました。
生活を支え再建していくためには、総合的でもう少し柔軟な支援が必要なのかもしれません。ハローワークの支援は、関係機関が県や市の枠を乗り越えて連携できることを教えてくれました。今回は「連携した支援」が力になっていくことを強く感じさせられる機会ともなりました。
(横浜市職員OB・社会福祉士 須田幸隆・篠崎美代子)




