特集

特別企画 「震災と社会福祉士」
東日本大震災において、社会福祉士が手がけたことなどについて随時リポートしていきます。

第6回 たきがしら会館生活相談レポート(前編)

~生活相談の体制づくり~
2011年8月29日
 横浜市で最初の一時避難所となった横浜市たきがしら会館(磯子区)における生活相談について、2回にわたってレポートします。東日本大震災の被災地からたきがしら会館に避難された方の多くは、福島からの避難者でした――。

社会福祉士として
 社会福祉士の本来業務は、いうまでもなく福祉相談です。今回の東日本大震災に関しても、日本社会福祉士会は厚生労働省に対して、2011年3月16日付けで協力の申し入れを行っています。その中で社会福祉士が支援できることとして、次の4項目を挙げています。


 神奈川県社会福祉士会でも3月25日付けで、横浜市に対して同趣旨の申し入れを行いました。

 横浜市は40年来、福祉職採用した職員を福祉事務所のケースワーカーなどにも充ててきた全国でもまれな自治体で、生活相談の経験豊かな職員OBがたくさんいます。横浜市が被災者の受け入れを発表したのは地震発生から6日目の3月17日、たきがしら会館で最初の受け入れが始まったのは19日、職員OBとして私が訪れたのはその翌日でした。直ちに区役所から生活相談の要請があり、私は職員OBだけでは長期支援は難しいと判断し、「神奈川県社会福祉士会として受け入れる体制を組みたい」と関係者へ報告と実施の合意を得る一方、他の職員OBにも声を掛けました。

いよいよ生活相談開始
 こうして集った社会福祉士や職員OBによる生活相談には、毎日2~3名が輪番で入ることになりました。当初の目的は、利用者世帯の状況や課題の把握です。生活相談に必要な、避難された方々が住んでいた土地の情報や、磯子区の社会資源および震災・原発に関する情報を行政側で用意するよう要望し、生活相談には3月28日から入りました。1人は相談コーナーで対応し、1人はロビーで声をかけました。会話のなかからニーズを把握し必要な情報を提供していく生活相談が始まりました。

 スタート当初は、日替わりで相談員が交代しての活動だったので、どうしても初対面となるケースが多く、その中でどこまで伺ってよいのか、相談員は戸惑ったと思います。私自身は、毎日通って相談員に相談の仕方の伝授、スーパーバイザー、行政との調整役などに徹しました。さらに、世帯毎に世帯台帳と経過記録を残し、引継ぐことができるように相談の継続性に工夫を凝らしました。また、日報をまとめ、相談員間はもとより、行政とも情報共有にも努めました。

状況に合わせて活動も変化を
 受け入れ開始から約2週間後に横浜市は、たきがしら会館での新規受け入れを行わない方針を打ち出しました。その後、福島に戻ったり、他の施設に移られたり、住み込みの仕事を見つけたり……と4月下旬ころには、5世帯16名となっていました。残られたのは、たきがしら会館を拠点に住まいや仕事を探す決心をされた方々でした。

たきがしら会館に設けられた相談コーナー
 この頃、相談員は日替り体制での活動の限界を感じていました。利用者が減り全世帯の状況も把握しやすい状態だったため、3週目からは相談日を週2回とし、月交代にするなど担当者を固定しました。その結果、前回までの相談内容を踏まえた継続的な対応と関係性の構築および維持が一層できるようになりました。こうして、生活相談は、6月末まで、3ヶ月間継続されたのです。

育てられた次世代の学生達
 ところで、今回の生活相談が次世代育成に果たす役割にも期待していました。大学当局と相談し、社会福祉士養成課程に学ぶ学生に参加してもらいました。継続して訪れていた学生は、いつの間にか、子どもたちに相談員以上になつかれたり、ロビーでの世間話から貴重な情報を得たり、自ら関係機関に照会したりするまでに成長していました。
 避難してこられた方々にも育てられている学生たちは、いつの日か今回の経験を糧とし、実践力のある社会福祉士として、大きく羽ばたいていくことでしょう。

(横浜市職員OB・社会福祉士 須田幸隆・篠崎美代子)

(後編はこちらよりご覧ください)

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