特集

特別企画 「震災と社会福祉士」
東日本大震災において、社会福祉士が手がけたことなどについて随時リポートしていきます。

第2回 重症心身障がいの息子を抱える「母」の奮闘(前編)

2011年5月31日
 被災地の皆さんとは比べものになりませんが、横浜在住の社会福祉士で、いわゆる重症心身障がいの息子を抱える母親が体験したことを、2回にわたってお伝えします。

 3月11日、常に医療ケアが欠かせない息子はデイサービスで過ごしていました。研修会の手伝いに出掛けていた私は、電車で約15分のはずの横浜駅まで、仲間たちと長いこと待って乗ったタクシーで、住宅地の裏道を走ったのに1時間以上かかってどうにか戻れました。
 駅につながる地下街は、駅に向かう人、タクシーや公衆電話に並ぶ大行列、座り込む人で歩く隙もないほど混雑していました。鉄道各社の駅員は、運転再開の見込みがないこと、大津波警報を受けて駅の構内から広域避難場所へ誘導していることなどを、メガホンで何度も呼び掛けていました。
 メールもたまにしかつながらないなか、都内の職場にいる夫からは、焦らずにホテルに泊まるなど安全な居場所を確保するよう、連絡がありました。

 しかし、私は息子を迎えに行こうと考えたのでした。とにかく歩いて出発。
 川や海は避けて山越えの道を選び、5kmほどでどうにか営業しているコンビニを見つけて、食糧と水、携帯電話の充電器を買いました。ふと、店員さんに近くに自転車屋がないか尋ね、今度は手に入れた自転車で、動かない車と歩いて帰る人とで大混雑した道をヨロヨロと進み始めました。
 その10kmを超える行程の半分は停電で信号機も点いていない真っ暗な街。きっとものすごい形相でペダルを踏んでいたでしょう。道中、何度も涙がこぼれました。

 地震直後から停電しているデイサービスで息子はどうしているんだろうか。毛布を何枚もかけ、水分補給や薬の注入をしていても、鼻のエアウェイチューブから直接気管に入る冷たい空気は鼻水や痰などの分泌物を急増させ、全身をも緊張させしてしまう。そうなると、分泌物を電動吸引器でひっきりなしに吸引することになります。寒くないかな、お腹空いてないかな、電動吸引器のバッテリーは切れてないかな、痙攣発作は多発してないかな……。不安が頭の中をぐるぐると巡ります。

 十年ほど前まで、常に医療ケアが必要な重症心身がいがある子は、病院や施設でしか過ごせない人生でした。医学の進歩や医療技術・機器の発展によって劇的に長く生きられるようになり、施設や病院ではなく家族と家で暮らすケースが急増しています。とはいえ、学校でも別室で待機していたり、訪問看護師が来ている間だけ買い物に出掛けたり、と母親が子どものそばを離れられる時間が限られているケースがほとんどです。
 でも、私は、何かあっても1時間ほどで駆けつけられるデイサービスを目一杯利用して、用事や仕事へと出掛けてきたのです。呼吸も意思表示もできない息子と離れて、その間を自分の時間に使うことにためらいがなくなっていたのではないか、「緊急事態」の想定が甘すぎたのではないか、と自分を責めもしました。

<つづく>

(一般社団法人成年後見事務所アンカー 斎藤聡子)

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