特集

特別企画 「震災と社会福祉士」
東日本大震災において、社会福祉士が手がけたことなどについて随時リポートしていきます。

第12回 わたしのボランティア体験

2011年11月30日
私は知らない。
 2011年3月11日の地震の揺れも、帰宅難民の苦労も、私は知らない。
 日本に津波だ!というネットニュースからTVの国際報道でみた映像に
  「え?何処映しているの?!日本!東北?」
 映像に釘付けになり、信じられなかった。

 それから、3ヶ月を経て、私は日本社会福祉士会の被災地域の地域包括支援センターへの活動支援者として、宮城県石巻市稲井地区での支援活動に参加した。すでに3ヶ月が経過した現地は、道路は綺麗に整備され、我々の会のボランティア活動に支障を来たす事はなく、むしろ基幹道路は渋滞になるくらいに多くの車が往来していた。

 多くの生活車両の中には、他県ナンバーも多く見られた。ボランティアの車だろうか。それに他県からの応援警察車両・自衛隊車両なども加わり、道路だけでなく、その沿道の商店も営業が始まり復活の様子だった。被災者の生活も、その頃は、避難所生活から徐々に仮設住宅へ引越しが始まっており、生活の一歩が踏み出されたかに見えた。

 私たちは、稲井地域包括支援センター管轄区内の避難所と仮設住宅を巡回し、現状での生活の様子を伺い、身体の不調や不便さを尋ねながら、以前関わっていた地域包括支援センターに、今の居住場所を連絡することの確認などを行った。というのも、担当した稲井地域包括支援センターの事務所自体は、被災から免れ十分機能していたからだ。

 よって、そこではエリア内の被災された方々の生活確認が課題となった。しかし、同じ石巻市内でも、地域包括支援センター事務所自体が被災にあっている地域の活動では、事務所機能の復活に向けての活動が必要であり、居住者の介護認定の復活や広報のためのパンフレット資料の収集なども平行して実施していた。

生活はここから始まる。
 仮設で生活の被災者から聞いた言葉は、仮設に移れたことへの感謝であり、多くの人に助けられたとの言葉だった。

 「まだ、避難所暮らしをしている人が居るのに、ここへ移って来れたのは感謝だよ、引越しにボランティアの車も出してくれるしね。」「以前は予防教室に通っていてカラオケも歌ったけど、今は海に流されたときに泥水を飲んで喉を痛めたから歌えないね。」
と豪快に笑って見せてくれたおばさんに出会った。

 「母は行方不明で、妹と弟は学校のある仙台でアパート暮らし。自分は仮設に移ったけど、会社は全壊し自分のトラックは流された。」「仕事はハローワークに通ってもないし、これからどうなるかなぁ生活費もなくなるし…」
と話してくれた一人暮らしの20代男性もいた。

 まさに、生活はここから始まる。
 生活をかたちづくるもの全てをこの人達に届けることを、我々は続けなければならないだろう。福祉という枠が人の歴史を刻むものとして、3・11を基点とする視点は今後必要になると思う。

 人々の生活の破壊をひきおこすものは戦争だけではなく、この近代においてもなお天変地異があり、同時に人災と言われる原発被害などもあることを忘れず、また考えていかなければならない。

(日本社会事業大学通信教育科非常勤講師 綱きみ子)

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