特集

インタビュー 「ケアの現場から」
ソーシャルケア研究所・本間清文さんの監修で、ケアの現場のさまざまな職種の声を届けていきます。

第5回 「そんなもんじゃない、俺が食べたいのは!」

和田真由美さん(デイサービス) 前編
2011年9月9日
今回と次回は、目黒区のデイサービスに生活相談員として勤務されている和田真由美さんのインタビューです。聞き手は、この連載で監修者としてご協力いただく、ソーシャルケア研究所の本間清文さんにお願いしました。
※個人情報保護のため、一部、フィクションを加えています

おばあちゃん子だった
本間:和田さんがケアの仕事に関わるようになった、きっかけから教えてください。

和田真由美さん
和田:生後間もない頃から両親が共働きでしたので、ほとんど祖母と一緒に寝起きをし、遊び、という感じで育てられた「おばあちゃん子」でした。そのせいか高齢者との関わりは自分にとって自然なものでしたね。
 あとは中学生ぐらいの頃に、「これからは高齢化社会だ」というような話題が、テレビや新聞などメディアでさかんに出始め、介護がこれから仕事として成り立つんだっていう情報から、仕事としての介護に興味を持つことに結びついたと思います。

本間:そして、実際に老人の介護という業界に入られてどうでした?

和田:最初は病院併設のデイケアに勤め、その後、ユニット型特別養護老人ホーム(以下、「ユニット型特養」)で働いたのですが、当初は、デイケア等に対しても、幼稚園のようにキャーキャー遊ぶことに何の意味があるのかとかも感じていました。また、介護施設に対してもよくないイメージや先入観もありました。でも、それが就職してみてガラっと変わりましたね。

本間:どういうことですか。

和田:具体的にいうと、入職したユニット型特養ではじめて高齢者本人だけでなく、その家族の目、家族の存在をすごく意識できるようになりました。

家族の存在
和田:たとえば、私たちの施設に入所する前に、他の施設に入所されていた方がいました。その方は前の施設でずっと抑制(=危険回避のため縛ったりすること)をされていらっしゃったんですね。でも、私の施設では抑制をしていなかったんです。だからご本人が、ふらふらになって転びそうになりながらも歩かれていたんです。

 もちろん、預かっている側としては転ばれるのも心配ですから「転んで、もしかしたら命を落とすかも知れません。でも、だからといってベッドに縛ったら不穏(おもに認知症の方などが精神的に興奮したり混乱する状態)になるかもしれません。」って気が気じゃなかったです。
 でも、その転びそうになりながらも歩いているご本人を見て、その家族が喜んでいたんですよね。目の前で自分の力で歩いているのを喜んだのです。「おじいちゃん、まだ歩けるんだ。」、「トイレに座れるんだ。」と。
 それを見ていて、たとえ転んだとしても、家族が『歩けること』をそうやって喜ぶというのは、私には衝撃でしたね。家族にとってはどんなリスクがあっても、トイレに座ったり、歩けたりできることが、寝たきりになるよりも大きな喜びなんだっていう事実が衝撃でした。もちろん、すべての家族がそういう反応ではありませんが。

 また、その施設では「家ではこうやって生活していたんだ、介護していたんだ。」と、すごく熱心に教えてくださるご家族もいらしたので、私が介護しているときも、なんかいい意味でもわるい意味でも、ご家族の葛藤や喜びのようなものが思い浮かぶような関わりができるようになっていきました。そこで、やっと、介護者の存在に気づけたように思います。

 あとは、私の祖父が介護が必要になったときは胃ろう(胃に穴を開け、管を使って栄養などを取ること)を検討しなきゃいけない状態になって、病院食も食べられなくなりました。でも、祖父がとても頑固な人で「俺はビスケットが食いてぇ」と食べたいものを言うわけです。
 でも私はなまじっか介護の勉強していたので、胃ろうになるかもしれない人にビスケット食べさせるわけにはいかないと思いました。だから私はお見舞いにプリンを買っていったんです。でも「そんなもんじゃない!俺が食べたいのは!」と却下されました。

 でも母親は嚥下のこととか知らないので、本人が食べたいと言ったものをそのまま買って食べさせるんですよね。そしたら、本人がそのビスケットを非常においしそうに食べてました。なので…まず嚥下(飲み込み)がどうのとかいうよりも、先にひとつ考えることが、ワンステップがあってもよいのかなと、そのとき感じました。

 教科書的な介護の専門的視点で固まっちゃうと大事なものが見えなくなる。そういう所があるのかなあと思って。それはなんかちょっと恥ずかしいような気持ちになりましたね。

本間:ご自分のおじいさんおばあさんが先生というか、介護の仕事やっていく上で重要なものを教えてくれたんでしょうね。

理想と葛藤
本間清文さん
本間:仕事上、辛いことはありましたか?

和田:そうですね、例えば、認知症の重度の方が多く入所されているフロアが私の担当だったんですが、ある奥様が毎日、入所している旦那さんにおやつを持って面会に来ておられました。
 その方はお話もできない方でしたが、奥様は毎日、面会に来ておやつを食べさせていました。多分、奥様にとってはおやつをご主人に食べてもらうことが唯一のコミュニケーションだったんじゃないかと思います。でもその方がある段階から口から食べられなくなり、胃ろうになってしまった。そのとき、奥様は「どうしても、氷ひとかけらでも、はちみつひとさじだけでも食べさせたい」とご希望されました。
 でも、そのご夫婦の娘さん達は、「お母さん、そんなことしたら父さんが死んじゃうから止めて。」と反対。お医者さんも「命の保証はできませんよ。その覚悟ができてるならおやりなさい。」と言われてしまいました。

 そのとき、私は「どうしましょう?」って相談されたんです。でも、やはり「命に関わる」と言われてしまうと、気の利いた事も何も言えなかったです。そのとき、私は奥さんにいいも悪いも言えませんでした。自分の意見は棚に上げて、「お医者さまはこう申しております。あとはご家族で話し合って方針を決められた方がよいと思います。」というようにいったと思います。逃げてたのかなあ…。

 そして、その方は結局、その後、間もなく亡くなりました。何もチャレンジできないまま亡くなったんです。そのときに「ああ、やっちゃったなあ…。」って。もうちょっと、家族の心情に寄り添える対応ができなかったのかなって。
 そんな後悔の繰り返しでしたね、その頃は。

本間:理想とのギャップに苦しんだわけですね。

和田:施設での不規則勤務もきつかったですし、ユニットリーダーという役職を任せていただいて、それが始めての経験でとてもプレッシャーになりました。また、その頃、職場からどんどん経験者の方が辞めて行ってしまったことや、老人ホームではじめて亡くなっていく人をみて、死が隣り合わせにあるケアに直面したことなど、さまざまなプレッシャーの中で、そのうち自分自身がうまく立ち回れなくなってしまいました。
 さらに、その頃、私の祖母も亡くなってしまった。その頃が時期的には、一番しんどかった時ですね。後になってみれば一番勉強になりましたが―。

本間:可愛がってくださったおばあさんがなくなられたことで、どのような心境の変化があったのでしょう。


(つづく)

プロフィール
和田 真由美(わだ まゆみ)
目黒区デイサービス勤務・生活相談員・介護福祉士。
専門学校卒業後、障がい者向けグループホームに勤務。その後は、夜間学校にて福祉と心理学等を学び、特別養護老人ホームでのユニットリーダーとしての勤務を経て、目黒区のデイサービスにて生活相談員として活動している。


ケア現場の質を高め、ケア関係職の地位待遇を向上するためには、現場で起きていることを社会に発信するソーシャルアクションや高齢者のアドボカシー(代弁)が欠かせません。「ケアの現場から」では、あなたの身近に起こったケア現場でのエピソードや想いを、本間清文氏がインタビュー形式で聞かせていただきます。ご希望の方はこちらからお問い合わせください。

※2011年8月16日取材

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