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ソーシャルワーカーとしての社会福祉士育成とソーシャルワークが展開できる社会システムづくりを語る掲示板
私の福祉職としての活動は、親族や家族の立場でまず考え、どうして出来ないのかを調べながら現状を把握する。次に、関係する機関に自分が把握した内容と社会資源の有無を確認し、利用可能なサービスを使ってみる。具体的に使って、手続きや費用負担、サービス内容の現状や課題を体感する。この流れの連続でした。
時間の経過とともに、自分が体感した感覚が自分のみではないと分かり、同じ気持ちを持つ方々との交流の場へ機会があれば参加し続けてきた事で横のつながりが広がっていきました。
社会福祉士とはなんぞや?
正直、この答は受験科目の多さがこの資格の活動分野を物語っています。
「福祉の何でも屋」というのが答えかと感じています。
基礎となる理論を確かめながら活動し、現場での「べき論」は個人論。常に変化する社会ではべき論は上から目線と学びました。受験の際、「“〜すべきである”との設問は迷わず✖️」と教えられた意味を現場で理解するには時間がかかりました。
将来のことを考えるのであれば、他業種で安定した給与をもらえる会社に就職した方が良いと思います。
福祉業界の職場内人間関係は、一般の会社よりも陰湿ですし社会常識とずれているように感じます。(会社にもよるかと思いますが)
自分自身が豊かな生活を送りたいと思うならば、福祉業界はやめた方がいいと思います。
コメント失礼します。
陰湿なのは業界全体ではなく、業種や事業所単位と感じています。
いい所はいいし、ダメなところはダメです。
時代の流れに乗って確変が出来ている場所はなんとなくなのですが良い雰囲気な印象です。
白樺さんのお話は興味深いです
>基礎となる理論を確かめながら活動し、現場での「べき論」は個人論。常に変化する社会ではべき論は上から目線と学びました。
この部分をもう少し詳しくお願いします
>>現場での「べき論」は個人論。常に変化する社会ではべき論は上から目線
規則正しい生活or自分の理想論を押し付けて、支援した気になる人が多いから気をつけろってことではないでしょうか。
コメントをあがとうございます。
私自身の失敗談です。
かつおさん、私も自己解釈のつもり支援からのスタートでした。ばおばぶの木で他の方も書かれていましたが、私も入職してから、理想と現実のギャップの洗礼を受けました。
大学で倫理学や法学で道徳や法の成り立ちを理屈で理解。例え憲法であっても解釈次第と学びました。
時代の趨勢と共に法がどんどん変化しその変化についていくのがやっとです。福祉士の倫理綱領を拠り所に、言葉の端々で「べき」を使い続けていました。その根底に私の「我」から出た上から目線になってしまう自分がいます。
肩書きで動く責任と、利用者の母親としての声。そして、社会の一員としての役割。その時々、溢れ出て来る喜怒哀楽の感情は、それぞれ同じ立場に立った時、皆さん同じと感じました。私の意見は提案の一つにしか過ぎない。
「あなたも大切。わたしも大切」
今は、心の中でそう念じながら動いています。
豊かな生活の感じ方も人それぞれですね。還暦を過ぎて、大変だった(今も)だけれど、福祉に関わったおかげで世界観や人生観が広がり続けています。残りの人生も生き甲斐を持ちながら歩んでいけることに感謝しています。
白樺さんのお返事は白樺さんの経験も盛り込まれ心に染み入ります
「べき論」の答えは私がそうではないかと思っていたとおりでした
法学の解釈や道徳(倫理学)についても私の思いと一致します
ですが
この曖昧模糊としたものが「社会福祉」だとすると
この先ずっと曖昧なまま続いていくのだなという
落胆もあります
白樺さんの想いに水を指してしまい申し訳ないのですが
「社会福祉」に皆の幸せを実現する力はないなと感じてしまいます
日本国憲法では、すべての人々が幸せに暮らす権利があるとしています
↓
社会福祉?社会・福祉=人々・幸せ
↓
幸せはその人自身の主観であり、他人が判断はできない
↓
人は幸せでありたい~もがく
↓
もがきに対する支援が必要
↓
どのような支援が必要なのか?(社会福祉の課題と思います)
※この部分でソーシャルワークとかボランティアとか慈善活動…と方向性を見失って曖昧模糊議論になるような気がします(掲示板を振り返ると)
>「社会福祉」に皆の幸せを実現する力はないなと感じてしまいます
個人の観念で異なると思いますが、私てきには可能性があるのであれば挑戦したい、
まずやってみる、今日やらないことは明日もやらない、明日やらないことはいつまでもやらない。だからこそ、小さいアクションを今日起こす(ように努力しています、そのように日常生活を送るも同義と思います)
>この掲示板の意見交換もソーシャルアクションやその他の課題に活用できることが私の願いです。
(すみません。[8]を削除し修正文を再掲しています。
成年後見と勘違いしてしまいました。失礼しました。)
曖昧猛攻 さん
社会保障や介護保険など公的制度で家族や個人の負担を社会全体で担う以上、曖昧とはいえ“皆んなの幸せの実現を目指す”がスローガン。社会福祉に限らず、宗教も医療も同じと思います。
私個人は非力です。福祉全体からすると刺さったトゲを抜くぐらいしか出来ません。ただ、沢山の方々が同じトゲに悩まされているのがわかった時、手袋やトゲ抜きの準備をします。時には大工さん(行政など)にお願いします。
曖昧は生きている証。
皆んな、グレーゾーンの中で模索を続けながら生きている。と私は思います。
私の基本は直接支援です。
理論や専門用語はあくまで参考資料の検索に役立てばとの思いから引用しているに過ぎません。立ち位置をその都度変えながら私の出来る範囲で動いています。
法的行為、地域への働きかけ、審議会委員や施設理事など。ついつい境界線を踏み越えてしまい、こちらでも訂正やお詫びの繰り返してしまいますが、お許しください。
誰でも何らかの出会いやきっかけがあって、福祉職や専門職へと足を踏み入れられたのではないでしようか。
私は30代半ばまで、利用者の立場のみでした。当時は、政策や専門家は、上から目線の対応が当たり前。弱者の声は、集団で議員へ依頼するか、陳情書が当たり前でした。
今は、制度や体制の見直しは、当時者からの直接提起が当たり前の時代。FacebookやTwitter、YouTube、TVの問題提起での解決が主流になってきていますね。機能や操作方法をマスターしなければならず、私にとってはそちらの方が大変で自ずと限界が見えてしまいます。
今は、支援が必要な方々や一緒に支援をされていらっしゃる方々からの現場からの声を聞き、関係する支援者へ繋げる事が多くなっています。
世代交代を肌で感じながら、次の世代へ引き継いで行きたいと願っています。
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