ばおばぶの木

息抜き掲示板。身近な話題や少子化、LOHAS、団塊、セミリタイア等のホットな話題もOK!

新しい記事を投稿する 記事検索

体のいいうば捨て山

  • とある事務員
  • 2011年5月12日(木) 12:37
  • 削除する

特養に勤務していますが、地域住民から以前”特養は体のいいうば捨て山だよね”と言われたことがあります。
そのときすぐに反論できない自分がいました。
確かに、本人は気が進まないまま家族に施設に入れられ、家族は一度も面会がない場合があることを知ると、そのように思う方もいるかもしれません。特に身内を施設に入れたことが無い人はなおさらかもしれません。
そのような方に対する適切な説明についてアドバイスがありましたらご教授下さい。

  • [1]
  • 春が来た
  • 2011年5月12日(木) 14:51
  • 削除する

 特養の職員の方たちが、限られた(決して十分ではない)介護報酬のもとで、懸命に頑張っていることを、具体的に堂々と話しされたらどうでしょうか。
 確かに、入所者の介護度や、事業所や管理者によっては「もっと頑張れるのでは」という施設もありますが、全体としては過酷な労働条件のなか頑張っています。
 そうした事実を伝えたうえで「人員も、報酬ももっと良いサービスができるように、やはり地域住民の、行政にむけた適切な声」が大切であることを話してあげてください。
 たしかに、そういうことを言われるかたに限って、施設に家族をあずけるやいなや、ほとんどお見舞いにも来ない場合が多いですね。選挙のときも、ろくに社会保障のことを考えたりしないようですね。

  • [2]
  • とある事務員
  • 2011年5月12日(木) 15:07
  • 削除する

コメントありがとうございます。
おそらくその住民の方が”体のよい・・・”と話した背景には、いくら国のすばらしい社会保障制度のもとご本人の尊厳を大切にし、豊かな生活を送れるように支援するといったような理念を掲げても、それは表向きかつ事業者側の論理で、身を預けるご本人、特に家族にとってはなるべくいろんな意味での負担を軽減するための施設で、それを世間ではレスパイトケアと呼んでいるが、ほとんどの家族がそれを望んでいる節があるので、”体のよいうば捨て山”と表現されたのかもしれません。
つまり、在宅復帰を主眼とした施設ととらえられていないと思います。

  • [3]
  • 白樺
  • 2011年5月12日(木) 17:11
  • 削除する

私は“うばすて山”といわれるとムカッときて反論したくなくなりますが、その気持ちをぐっとこらえて
「残念ながら、そう思われる方多いですね。」と苦笑しながら答えます。もし、付け加えるなら、
「ご家庭で介護したいと思われていても、なかなかご本人の状況やご家庭の事情もありますしね。もし、今後、何かお手伝いできることがありましたらご相談ください。」と言います。

無意識で本音を口にし、本人が気付かないうちに相手を傷つけている場面って多いですね。
返答に窮することが多いです。
とは言え、このように言われる方は、説明求めていない場合が多く反論しません。

“うばすて山”と表現される方々は、介護を経験されていない方、もしくは介護を抱え込んでいる方が多いと感じています。
その方が支援を必要とするまで、敢えて反論しないことが今後へつながると思っています。

>そのような方に対する適切な説明についてアドバイスがありましたらご教授下さい。
…答えになっていませんね。すみません。

  • [4]
  • とある事務員
  • 2011年5月12日(木) 17:38
  • 削除する

白樺さんの
”その方が支援を必要とするまで、敢えて反論しないことが今後へつながると思っています。”
のコメント、なるほどと思い拝見致しました。

敢えて反論的に色々言わないのも一つの方法ですね。
あるいはどうしても先方を納得させる必要は今時点はないのかもしれませんね。

  • [5]
  • タープ
  • 2011年5月13日(金) 13:31
  • 削除する

介護の経験の無い方が、無意識に(無責任に)発した言葉なのでしょうが、心中お察しいたします。

そのような方たちは、時折ニュース等で報道される介護疲れから起きている数々の不幸な事件について、何も感じないのでしょうね。

自分がその立場に置かれて初めて気付くのでしょう。

私も、現時点では敢えて反論は避ける方が賢明であると思いますよ。反論したとしても、おそらくそういった方は素直には聞き入れないでしょうし。

  • [6]
  • tear
  • 2011年5月13日(金) 14:31
  • 削除する

私は昨年1月に父を、12月に母を亡くしました。
父はアルツハイマーを患い妄想・幻覚が著明となり精神科に入院した後特養に入れていただきました。3年後に肺炎で亡くなりましたがその間、4度ほど身体疾患で病院に入院(夜は私たち夫婦で交代で付き添いました「完全看護の総合病院でしたが、痴呆で夜間徘徊があったので、付添を条件としての入院でした」夜間はせいぜい2時間寝れるかどうかでした)ちなみに私たち夫婦は勤め人ですので職場には病院から直行しながらの生活を強いられました。母は外傷性脳挫傷による痴呆で7年間特養にお世話になりました。その間、胆のう炎で1度入院しましたが、痴呆による徘徊などなかった(徘徊する体力もなかったので)付き添いは不用でした。7年間、私たちの生活は、洗濯物、紙おむつを持って家と職場と施設を行き来する生活でした。「施設が姥捨て山・・・」絶句です。
年金だけではとても施設の費用、入院費用は支払できませんでしたので、妻にも働き続きてもらいました。私は今年60歳になり、妻は57歳になります。もし、特養にはいれなかったら、親子4人で本当の姥捨て山に入って死んでいたかもしれません。私たちは、今でも親身になってお世話をしていただいた特養の方々に感謝しております。世の中で一番悲しいのは、このような心無い方の一言なのだと、涙が止まりません。

  • [7]
  • めじなシライ
  • 2011年5月13日(金) 15:35
  • 削除する

昔話の姥捨て山は国家権力によるものであり、大いに人間の心の葛藤がみられたと思われる
施設が姥捨て山なんて決して思えません…
弱いものを余裕あるものが助ける
身近なところでは、私たちを生み育てた親たちが年毎、おいていく、余裕あるものが助ける…自然のことと思います。
私たちは親に護られ、育てられた。逆の立場になっただけではないか?親たちに同じことをすればいいのではないか。
近所に、身寄りのない高齢者がいたら、手分けして、手助けしたらいいのではなか?
私たちがそうされたらうれしいと思うことを、他者にもすればいいのだから。
施設という機能を借りたとしてもそのかかわり方はいくらでも対応は可能と思われる。これが人の心であると思います。できることをしたらと思います、必ず思いは通じると思います。
しかしいつのまにか、高齢社会や社会の営み、価値観、人間同士のかかわり、関係が異質のものとなっていると感じる、心さびしい部分である、きっとこの部分が現代の姥捨て山に値するのではないかと思います

もっと一人ひとりが頑張らなければ(できることをになわねば)理想と現実を混同として、他人と同じことを要求するのが権利だと勘違いしてはいないか?
現場でもすでに机上の空論にひとしい事が起きているのではないか?
努力なしに本来、誰かが、3食部屋風呂という暮らしを与えるべきだと思ってはいないか?それのみを求めるのならば社会の生んだある種の姥捨て山になりかねないような気がしてなりません。

本題とずれたことをご容赦ください

  • [8]
  • とある事務員
  • 2011年5月13日(金) 16:19
  • 削除する

タープさん、tearさん、めじなシライさん、コメントありがとうございます。

色々な視点からの意見を頂き、考えさせられました。

tearさんは7年も付き添いで病院と職場を行き来されたとのことですが、私が同じ状況だったらそこまで頑張れるか自信ははないです。tearさんみたいに献身的なまでの家族愛による支えは施設職員も尊敬できますが、一方で入所式以降一度も面会などに来られないご家族も存在します。介護に携わる者としては後者の場合は家族のあり方を考えさせられてしまいます。

めじなシライさんの
”私たちは親に護られ、育てられた。逆の立場になっただけではないか?親たちに同じことをすればいいのではないか。
近所に、身寄りのない高齢者がいたら、手分けして、手助けしたらいいのではなか?”
というご意見ですが、少なくとも身内が率先して助けた方が良いと思います。他人任せ、施設任せが前提のご家族も少なからず見受けられます。面会に来れなくても様子を電話で聞くなりなんなり方法はいくらでもあるかと思います。
身寄りがない方については別ですが。

なんだかこのように述べていると自分の考えが、前述の地域住民のコメントを肯定しているかのように捉えられてしまいそうですが。。。

  • [9]
  • デデデ
  • 2011年5月13日(金) 18:16
  • 削除する

>他人任せ、施設任せが前提のご家族も少なからず見受けられます。

介護サービス利用に保険方式を採用した時点で、こういった家族が増えることは予想できたことかもしれません。
今後、長年介護保険をかけつづけた世代になれば、施設を利用して当然と言う家族が更に増えるでしょう。
まだ「体のいい姥捨て山だね」との言葉には、「年老いた家族を見捨てるのは心無い」という意識が含まれているように感じますが。
入所の必要もない人がコネで入所しているようなことが横行していると、こういった批判が出るのかもしれませんね。
施設の介護を批判した言葉ではないと思いますよ。

  • [10]
  • 白樺
  • 2011年5月14日(土) 7:11
  • 削除する

>私たちは、今でも親身になってお世話をしていただいた特養の方々に感謝しております。
…施設等で働いていると、tesrさんのように感じてくださるご家族からのコメントはとても励みになります。

>施設の介護を批判した言葉ではないと思いますよ。
…私もデデデさんと同じように感じます。施設の存在そのものを否定している方の言葉と思いました。

終末医療に関わり、家族関係の変化、お金で買うサービス、経営優先について考えることが多くなりました。
“無縁社会”本当にそう感じます。
介護保険、後期高齢者医療、障がい者自立支援法。これらの法は時代の趨勢から成立してきました。
めじなシライさんが“昔話の姥捨て山は国家権力によるものであり、大いに人間の心の葛藤がみられたと思われる”と書かれているように。
時折、姥捨て山と施設サービスが同じ役割を担っており、それに加担している自分を感じることがあります。
そんなとき、加担している自分なんだと思うより、必要とされている支援を提供している自分なんだという意識へ切り替えています。
お金でなんでも澄ませてしまえる社会。契約によるサービスの長所と短所。理不尽な対応や不正などに触れたとき何日も頭の中を色々な想いが駆け巡ります。
それこそ「考えると眠れなくなっちゃうよ」の世界です。

相手の話す内容が本来の目的から外れている違っている。でも、今は反論する時ではない。
そうと感じた際に私がよく使う表現が“敢えて”です。
結局、保留状態(宿題)になるのですが。
その宿題を一つ一つこなしていくうちに、物事には時機と適所があることを学びました。
時機や所在を見逃さない見落とさないよう注意しています。
優柔不断な対応であっても、これが今の私が納得できる方法です。(続く)

  • [11]
  • 白樺
  • 2011年5月14日(土) 7:14
  • 削除する

(続き)
私事で恐縮ですが、我が子の障害を受容できなかった頃、反論したり攻撃することで子どもを護れると思っていました。でも時間が経つうちに、返って子どもの囲い込みや閉鎖的な行動範囲になっていきました。
障害を受容できた頃からは、批難や中傷を受けても反論しないで受け入れてみることが周囲との関係を変えていく、変わっていくのを感じています。
ただ、攻撃を受けたときには徹底的に戦いますが。(本来、理屈屋で短気な性格です:苦笑)

共感できなくても、先ず相手の気持ち受け入れることから始まるように思います。
今日の敵は明日の友かもしれません。
言い換えると、今日の批判者は明日の利用者予備軍かもしれません。

ケース会議で、介護職員同士がちょっとした介護の仕方、言葉遣いで討論になり、結局、相談員が<まあ、どちらも正しい。ケースバイケースで>とぐだぐだな状態で終わります。
そして、介護方法はみんなそれぞれ、虐待とか最低限のことがないだけで、自分の方法を変えようとかはしません。
私も、その一人と思い、狭い世界だなあと落ち込みます。

市主催の研修のGWでも結論はそんな感じです。

進歩がないなあ、私、それに先輩や後輩と思い、モチがあがっていきません。

飲みにいくのは、派閥同士だけです。
討論そのものが大事なんだ、という園長の意見もどうもきれいごとに思えます

  • [1]
  • JASDAQ
  • 2011年5月4日(水) 18:46
  • 削除する

ケースバイケース、当たり前じゃないんですか?
画一的な介護をあなたはしたいの?
言葉遣いだって最低限守らなければいけないマナーはあるでしょう。
それこそ北の御大のように割れ窓理論から考えても良いと思う。
だけど、その場の雰囲気で言葉遣いの若干のニュアンスの違いは許容されるのではないですか?

>市主催の研修のGWでも結論はそんな感じです。
そりゃそうでしょ。
よそ様の施設のやり方を表立って批判出来る人はそんなにいないでしょうし。
これは介護業界とか関係ないと思いますよ。

>討論そのものが大事なんだ、という園長の意見もどうもきれいごとに思えます
あなたの意見がみえてきませんが、私も討論は大事だと思います。それが全てとは思いませんが。

  • [2]
  • mon太
  • 2011年5月5日(木) 16:46
  • 削除する

ケースバイケース・・・、当然でしょう
それが個別化です

言葉遣い、最低限のマナーは必要と思います
相手を尊重した言葉を選ぶことは大切ですし
しかし、敬語onlyでいすぎると、
利用者さんのほうから指摘されることもあります
(あの人はよそよそしい、など)
おそらくこれもケースバイケースになりますね

介護、介助については、
Aさんのやり方がいい、Bさんのやり方がいい
ではなくて、利用者主体のことだと思います

貴方様は自分の想いに寄り添ってもらいたいのでしょうか?
それとも、士気を高めてほしいのでしょうか?
意図が分からなくてすみません

  • [3]
  • 2011年5月6日(金) 16:15
  • 削除する

うん!そうですか!なるほどなるほど…こういった違った意見を言い合いをするという議論そのものを職員間で一時間でも二時間でもすること自体が大切なことなんです。意見をすりあわせ、こういった見方もある、という“気付き”があるかもしれません。これからも、議論、討論、意見交換をしてお互い向上しあい、モチベーションを高めていきましょう。全員が一人ひとりのケースを読み、各自が行ってきた処遇方法を理解しましょう。そうすれば、非常事態でも臨機応変、ケースバーケースで乗り切ることができます。

これは、うちの副施設長のケース会議等のきまり文句です(笑)

まあ、むちゃむちゃ正論です。ムチャ正論すぎて、(副施設長!だから?)といいたくなります。
かくいう私も相談員の主任として実習生のコメントに↑のようなコメントを書いたりして自己嫌悪に陥ります。
なぜかって?
そりゃ、読んだほうも“そんなこと当たり前じゃん!あんたにわざわざ活字にされなくてもわかってんのよ!”という言葉が聞こえてきそうで、コメントを書くのが嫌になります。
“気付き”を感じさせるコメントを書くことがどうしてもできない愚かな相談員です。

  • [4]
  • かき氷
  • 2011年5月6日(金) 18:52
  • 削除する

>ケース会議で、介護職員同士がちょっとした介護の仕方、言葉遣いで討論になり

それが言い合い・言い争いで終わるなら、確かに不毛な時間に思えるのも無理ありませんね。でも、「ああ、この人はこの言葉をこう捉えるんだ」「この人はこう考えてケアをしているんだ」ということを、お互いが知ることからチームワークが始まると思えば、貴重な機会なのだと思います。

>介護方法はみんなそれぞれ、虐待とか最低限のことがないだけで、自分の方法を変えようとかはしません。

すぐには変わらないと思います。人を変えるよりもまず自分が変わること。そしてその方法が良いものならば、それを皆に伝えるためにも、相手が言葉をどう捉える人なのか、何に価値を置いているのか、等、相手を知っていることが大切になります。コミュニケーションスキルです。

>市主催の研修のGWでも結論はそんな感じです。

研修のGWで画期的な素晴らしい結論を出すことは、なかなかに難しいものです。本当の目的は答えを出すことではなく、やはりそこでも各人の考え方、捉え方の違いを知り、自分と違う発想があることを知ることが大事なのです。グダグダになるか、眼からウロコの発見があるかはメンバー次第。あなたもその一員なわけです。

確かに狭い世界ですが、周りの雰囲気にのまれてモチベーションが上がらないなんて他力本願なことは言わず、施設内外から色々学んで下さい。
あなたのその「違和感」を感じ取れる感性が何より大切です。

介護の方法を統一することはナンセンスと思いますが、てんでバラバラ、というのではなく、いい意味で違いを認め合えるという程度の一体感は持ちたいですね。それならモチベーションも上がるかな。頑張って下さい!

  • [5]
  • 38
  • 2011年5月6日(金) 19:24
  • 削除する

ありがとうございます。
飲まれてはいけませんね、確かに。
介護職員同士が、低レベルな揚げ足とりばかりして、正しい介護方法も認め合わず、相手が嫌い!相手が傲慢!相手は自分より下手!相手は自分よりレベル低い!という派閥を作っているので、和解は退職しかないとおもいます。

施設長レベルの人はスーパーバイザーの訓練を積んでほしい…と思います。
他力本願ではいかず、自分はレベルの高い研修を選んで通いたいと思います。もちろんいんちきくさいのもあるので要注意です。
ありがとうございます。

  • [6]
  • どうでしょう
  • 2011年5月9日(月) 12:34
  • 削除する

それは無理でしょう。
施設長レベルの人は福祉素人が多いし、向上心もありません。
みんながみんなじゃないけど、概ねそうです。

自分が高額長期研修に行くことはある意味スキルアップですね。

  • [7]
  • 介護兼相談
  • 2011年5月24日(火) 11:10
  • 削除する

私はテレビにも出てた高額の〇〇〇〇〇先生の研修を受け、トラウマになるくらい後悔しました。さらけだすのってニガテなんす。
最後の1回はやめてしまいました。他の若い子は、スキルアップしてたようですが、人それぞれですねえ。
自費で行ったのは私くらいで、だいたい経費で来てました。ああ、後悔

病院職員の接遇について

  • jparo
  • 2011年4月27日(水) 23:39

この場で適当なのかわかりませんが、初めて投稿いたします。

私は、病院の医事課で勤務しています。

上司から、患者様に対しては受付で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言うように指示が出ました。

私個人としては、これは病院の接遇とは思えないのですが、皆さんはどう思われますか?

おかしいなと思う気持ちと、上司からの指示の間で悩んでいます。

  • [1]
  • 白樺
  • 2011年4月28日(木) 6:05
  • 削除する

JPAROさんへ

確かに私も違和感を感じます。しかしながら、病院勤務の際、患者様やそのご家族様への“上から目線”がとても多いのを感じました。
職員の意識改革には役立つように感じます。

病院と市役所との違いはありますが、参考になるかもしれません。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3608784.html?best_flg=true



 

  • [2]
  • jparo
  • 2011年4月28日(木) 12:31
  • 削除する

白樺さん

コメント、ありがとうございます。

たしかに、同じ職場には、その時の気分をそのまま表情や口調に出して患者様やご家族に応対している人もおり、上司としては意識改革を狙ってのことだと思います。
私も同じようなことをしていることがあるかもしれません…。
「上から目線」…
そんなつもりはなくても、いつの間にかそうなっているのかもしれません。
添付の資料を読んで、恥ずかしい気持ちになりました。

私は、上司の言う「医療も一種のサービス業である」という考え方には賛成しています。
選ばれる病院になるために、今までのような接遇ではいけないことも承知しています。

ただ、ただ…
百歩譲って「いらっしゃいませ」はあっても、医療費を支払っていただいて、「ありがとうございます」はどうも違和感が…。

私自身、病院の帰りにそう言われたら、もう来たくないと思うかもしれません。

納得できないままの業務はしんどいですね。
勇気を出して、この気持ちを伝えてみようと思います。

  • [3]
  • 白樺
  • 2011年4月28日(木) 21:07
  • 削除する

jparoさんへ

「いかがされましたか?」「おだいじに」は、ある意味、病院用語となっていますが。それを置き換えての「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」は、まるで「(病気になってくれて)ありがとうごさいました。」と言っているような錯覚に陥りますね。
 この錯覚は言った側のみではなく受ける側にも起こるように思います。そう考えてみると、言葉が足りないことからの誤解、違和感かもしれません。
 省略しなければ「“当院を選んでくださって”ありがとうございます。」「“当院を信頼していただいて”ありがとうございます。」で、違和感はぐっと減りますね。

 よく表情は心を映す鏡といわれているように、無理をすると無意識のうちに顔や態度に出てしまいます。上司の方へ気持ちを伝えられるとのこと。少しでも違和感が解消されるといいですね。
 jpsroさんが少しでも納得できた上での挨拶が一番と思います。どのような形になっても、きっと感謝の気持ちは相手の方に伝わると思いますよ。
 

  • [4]
  • ely
  • 2011年4月29日(金) 0:46
  • 削除する

単に、ごく普通の病院利用者の立場で言うなら、
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言われたら、
患者がお金に見えるから「いらっしゃいませ」で「有難うございます」と言うのだと思い、ムッと来てバカにするな!と思ってしまいます。

ついでに言うと、
昨今は「患者様」という言葉をよく耳にしますが、
そう言われるたびに、決して患者を大事にしてるのではなく、
「患者がお金に見える」からそう言うように思えて不快です。
対等な立場ならば、少なくとも「○○さん」と思います。
そう思うのは私だけでしょうか。
きっと沢山いるのではと思います。
最近の病院、ときどき変なところがありますね。

  • [5]
  • 白樺
  • 2011年4月29日(金) 6:23
  • 削除する

elyさんが書かれているように、病院利用者の立場になったとき不快に感じられる方もいらっしゃると思います。
jparoさんご本人が納得できない状況のまま受付業務としてそうせざるを得ないとなるととても辛い立場と思います。

私の場合は、不本意な業務を行う時、自分が感じる不都合を先ず上司に伝えた上で、指示された形での業務を行います。そして少しでも自分が納得できる方法を模索します。いざやってみると意外と順応でき妥協点を見つけられたことが多かったですよ。
価値観や許容部分は人それぞれ違います。
結局、自分の受け入れられる範囲での業務になると思います。
とはいえ、自分をしっかり持っていないと流されてしまいますのでご注意を。妥協している、敢えてそうしている自分を忘れないことが大切と思います。
elyさんがコメントされているように、利益や経営が優先され本来の目的が2の次にされつつある変な社会状況と思います。
医療のみではなく福祉や教育の分野でもそう感じています。

  • [6]
  • jparo
  • 2011年4月30日(土) 9:58
  • 削除する

白樺さん
elyさん

ありがとうございます。
モヤモヤしたままの業務ですが、連休のバタバタで、なかなか気持ちを伝える機会をつかめずにいます。
その後については、ここでご意見を求めた以上は、きちんと報告させていただきます。

elyさんの言われる「患者様」も賛否両論ですが、「人」として接していないように聞こえる方もいらっしゃいますよね。

白樺さんの言われるように「方針だから…」と流されることなく、「自分を持って」いようと思います。

「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」「患者様」などなど、違和感だらけですが、言葉の表面のことばかり考えてしまっていたように思います。

シンプルに考えて、気持ちよく治療を受けていただくことを目標に、言葉や表情はもちろん、こころを穏やかにしたいと思います。



白樺さんのコメントを読ませていただいて、何か心がホッとしました。
お会いしたことはないですが、きっと誠実な方なんだろうなと推測いたします。勝手な推測ですみません。

お二人とも、ありがとうございます。

  • [7]
  • jparo
  • 2011年5月25日(水) 23:15
  • 削除する

こんばんは。

その後を報告しますとコメントしてから随分時間が経ってしまいました。

連休が明けて少し落ち着いた頃、職員の退職と入職があったことから、課内で業務分担についての話し合いがありました。

その席で、他に何かないか?どんなことでもいいぞ。ということで、思い切って「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」について違和感があることを打ち明けました。

実は、毎朝の朝礼で、この言葉を唱和することが始まっていたのですが、すでに来院されている患者さんにこれを聞かれていることが、すごく恥ずかしいというか情けないという思いがある、と。
なので、実際の受付で「いらっしゃいませ」と言ったことはありません、とも言いました。

すごく勇気がいりましたが…。

他の職員の意見はどうか、ということでしたが、すでに「おかしいよね」と言い合っていたように、全員が違和感あり、と。

上司も「そうか…」ということで、その日から「いらしゃいませ」「ありがとうございました」はなくなりました。

その流れで接遇の話になったのですが、その他では上司の指摘・助言はおおいに賛同するものでした。

それからは、スッキリして仕事ができています。
このことだけでなく、何か職員間で、会議でなくても言い合える雰囲気になれたような気がします。

接遇にはいろいろあるけど、まず笑顔でいようね、という話もしました。

ここでいろいろとご意見やコメントをいただきました白樺さん、elyさん、本当にありがとうございました。

  • [8]
  • ふきのとう
  • 2011年5月26日(木) 15:35
  • 削除する

 素晴らしいコメントですね。
介護も医療の職場も、まだまだすてたものではありませんね。

  • [9]
  • 白樺
  • 2011年5月27日(金) 16:24
  • 削除する

よかったですね!
jparoさんの勇気に拍手です。

ふきのとうさんと同じ気持ちです。

ご報告を読んで嬉しくなりました。

私も頑張らなくては。

いろいろな支援について思うこと

  • 被災者です
  • 2011年4月19日(火) 19:24
  • 削除する

今回の東日本大震災で津波に家屋が流されたものです。幸い私が仕事をしている事業所は、津波の影響も早期に克服し、事業再開にいたりました。

津波後1ヶ月が経過しましたが、最近になって、いろいろな福祉団体からの支援の手が届くようになりました。本当にありがたいと感じています。

いろいろな団体が支援してくださるのは大変嬉しいのですが、団体同士が協力して動くというより、個別対応を求めるケースが多く困り果てています。自分達の得意分野をいかしたいというのはわかりますが、そのやり繰りに翻弄されている状況は否めません。現状で手が届いていない分野の支援をお願いしたいと考えていますが、「この団体にはこの分野、この団体にはここ」と割り振りをするだけので、参っている状況です。皆で協力して対応できたら大きく前進できるような気がしますが、横の連携は難しいのでしょうか?

  • [1]
  • KY
  • 2011年4月21日(木) 1:49
  • 削除する

うちの社員が3週間ほど石巻まで支援に行ってます。民介協や地元の社協とも連携しながらやってるようです。私もGW明けに行くかも知れません。現地にも人はいるでしょうから、交通費使って行くよりも、義援金出した方が有効な気もしますが・・・。

  • [2]
  • 被災者です
  • 2011年4月21日(木) 19:36
  • 削除する

KYさん、ありがとうございます。
KYさんは石巻にどれ位滞在されるのでしょうか?
少しずつ復旧している地元の現状を見ていただき、お力をお貸しいただければと思います。ぜひ、継続した関わりをお願いします。

  • [4]
  • KY
  • 2011年5月6日(金) 14:14
  • 削除する

今日から石巻の近くの市へ行ってきます。自衛隊の邪魔にならないようにガレキ撤去等やってきます。

募金について

  • キラ星
  • 2011年4月19日(火) 9:57
  • 削除する

すみません。質問です。
17日私が属している歌謡会のコンサートがありました。
300名ほど入るホールで立ち見が出るほどでした。
そこに東日本支援の募金箱を先生の発案で受付におきました。
私は(小さな会なので)出番でない時は受付をしていました。実はその義捐金は先生の定宿になっているあるホテルに渡されることは、人づてに知っていました。
募金を呼びかけながら、行き先を明記しないでいいのかな?と不安に思ってました。
沢山の方が募金に応じてくれました。
先生が募金箱を持って帰ったので幾ら集まったのかも私には分かりません。
ただ、今不安なのは募金に応じてくださった方を騙してしまったのではとおもいます。
私どもメンバーは赤十字に持って行ってもらいたいと思っているのですがとても怖くていえません。
これは違法なのでしょうか?

  • [1]
  • ゴリ
  • 2011年4月19日(火) 11:27
  • 削除する

ホテルに渡されてその先は?

実際に被災者や被災者支援に渡らなければ、いわゆる「募金詐欺」です。被害額が多ければ告訴の対象となります。

共犯者にならないように!

  • [2]
  • キラ星
  • 2011年4月19日(火) 14:14
  • 削除する

コメント有難うございます。
そのホテルは準被災地ですが、直接の被害はなかったのですが
どこも同じでキャンセルはかなりあったそうです。
そのホテルから先は分かりません。
完全に共犯です。
こんなことには気をつけます。